除菌社会

よく言われることだが、風邪そのものを治す薬というのは今のところ存在しない(これを開発することが出来ればノーベル賞は間違いなしと言われる)。風邪薬というのは症状を緩和する効能しかなく、風邪による発熱その他の症状は身体がウイルスや細菌を退治するプロセスであるので、それを薬で過度に抑え込むと治りが遅くなり長引く。

これと同じことが今回の新型コロナウイルス(本当は保守系の人に倣って武漢ウイルス、武漢熱などと呼ぶべきか)との戦いにも言えるだろう。

感染が爆発したイタリアやスペインは早めに集団免疫ができ、結果として早く収束する公算が高い(なくなった方は本当にお気の毒であるが)。

ヨーロッパの大航海時代に植民地にされたインカ帝国やアステカ帝国では、それまでなかった天然痘などの疫病が持ち込まれ、それらに対する免疫を持たない彼らの間に急激に蔓延し膨大な数の死者が出た。もし新型のウイルスを水際で完全にシャットアウトできたとしても、海外でそれが蔓延している場合、このインカやアステカの人々の元々の状態、つまり新型ウイルスに対して無垢な状態をずっと保たなければいけないということであり、実効性はまずない。完全に鎖国でもしているのであれば可能かもしれないが、産業においても観光においても海外との人の行き来なしでは成り立たない今の日本でそれを続けることは不可能であろう。

つまり遅かれ早かれ、我々はウイルスとの共存を目指さなければいけないということだ。問題はいかにそれを「ソフトランディング」にすることができるかに絞られる。

最初イギリスはウイルスを早めに国民に蔓延させ集団免疫を作る作戦を取ろうとしていたようだが、国論もまとまらず計算違いとなっているのが現状のようだ。

さて日本政府はどういう目論見なのか。そこに明確な指針があるのかどうか。

あまりに清潔で純粋無垢な環境は、そこに生息する生き物の、病気に対する抵抗力を著しく低下させる。僕はなぜかこのことを子供の頃から強く意識していて、「除菌」という観点では今でも程々を目指して生活している。だから当然普段はマスクも絶対にしない。だいたい顔の表情がよく見えない状態で人と接するのは失礼にあたると思っている。そのおかげか滅多に風邪をひくことがない。子供の頃いくつかあったアレルギーも今は全部克服できている。

だから他人から見たら僕は「不潔」に分類される人間なのかもしれない。もちろんこちらから他人への配慮はまた別の話だが。

この辺のバランスは特に民族や気候環境によって大きく異なるだろう。現代文明はウイルスなどとの共存を今後どのように進めていくのか、これは非常に長きに渡る試行錯誤の連続となりそうだ。

新型コロナウイルスの災禍はそのことを考える大きなきっかけになったとも言えるだろう。

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