我々は大河の一滴である
それはやがて平安の海へと出ずる
神と魂の関係はこのようなものだ
安心して身を任せていれば
やがて永遠の平安が必ず訪れる
それまで川下りを楽しんでいればいい
それぞれの一滴に それぞれの流れがある
人生とはその流れる様だ
濁流もあれば 流れが淀むこともあり
途中に滝もある
追い越すこともあれば
追い抜かれることもある
川の流れがずっと平坦だったら
川下りをする楽しみも半減するだろう
濁流ばかりだと目が回るだろう
だがこの様々な流れこそ
平安の海へと続くまでの楽しい戯れなのだ
五木寛之氏の「大河の一滴」は発刊当初に読んだが、詳しい内容はもう忘れてしまった。
今回のコロナの騒動中またよく読まれているらしい。
もし今私がこのタイトルの言葉の意味を考えたら、こういう感じになると思う。
同じ言葉でも受け止め方は人それぞれでいいのだろう。