妬みという感情4

人間は自分が集団においてどういう位置を占めているかを実は常に意識している。
それにも傾向の個人差があって目立ちたがり屋は常にその位置にいるし、引っ込み思案な人もその定位置にいる。
その人の個性、パーソナリティが自分にとって居心地が最もいい位置を常に取ろうとする、という言い方もできる。

この「自己評価」の位置と実際の位置のズレはストレスを呼ぶ。自己評価が高いのに周りから評価されていないと不服を覚え、逆に自己評価が低いのに高く評価されているとくすぐったい気分や騙しているような気分になり、これも実際は居心地が悪い。

特に自分が一番価値を見出している分野での自己評価はその人の人生に大きく影響を及ぼす。「お金」が最も大切だと思う価値観の人は自分がその分野において上位にいないと気が済まないのでお金を稼ごうとする。もし稼ぐだけの実力が伴っていなければそのズレがストレスになる。結果そのストレスを埋めるためになんとかしてお金を稼ぐ術を見出すのである。お金の亡者なのにビジネスが下手だと詐欺や横領に走ったり銀行強盗をする可能性がある。

こういった傾向に影響するもう一つの要素が「自己へのこだわり」である。
自己へのこだわりが極端に薄いと人間はどうなるか。仙人や禅僧のようになってしまうのである。人間らしい生活とは適度な「自己実現」がなされている状態である。「自己へのこだわり」が適切だと努力と達成感のバランスが取れた行動をとる。「自己へのこだわり」が強すぎてそれが自助努力と繋がらなければ、他者を蹴落とすような行動をとったりするようになる。いずれにおいてもその原動力となるのが「妬み」の感情である。

「妬み」は元々悪いことではないのだ。集団生活、社会生活をする生き物として必要なエネルギーであり、そのエネルギーを人間らしく使うか、動物的に使うかによって結果が異なってくるのだ。そういう意味では「性欲」と似たところもある。

自分の中にこの「妬み」の感情が湧き起こった時は、自己嫌悪に陥らずにそれが成長のチャンスだと捉えればいいと思う。
この感情をやみくもに否定せず、むしろ積極的に活用しよう。
他人と比べたり妬むことを忘れた人間は実はもう成長しないのかもしれない。
人間は「社会的な」生き物なのだから。

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