人間というのは面白い生き物である。
集団や社会を形成する生き物は他にも多い。アリやハチなどの昆虫、群れを作る魚類、鳥類、多くの哺乳類。。
しかし人間以外の全てのこの種の生き物はその集団や社会の形がほぼ厳密に決まっている。そこから進化があるとしても生物学的進化のスピードを大きく超えることはない。安定した集団の形態が最も生命維持のために効率が良いことがわかっているからだ。
言い換えれば居心地の良い状態を変えようとしない。
これに対して人間は社会を形成しながらも常にその形に工夫を凝らしより良いものへと変えていこうと努力する。
ある意味貪欲である意味妥協がないのである。
これはやはり大脳新皮質の働きによるものであろう。他の動物に比べ大脳新皮質の割合が非常に大きい人類は、常に向上しようとする精神や科学的な理性を持ち、また基本的な欲求である食欲や性欲に、味の工夫やエロティシズムの追及などの装飾を加え、欲望そのものを増大させたり文化的意義まで持たせてしまったりするのだ。
少し変な言い方をすると、我々は大脳新皮質という素晴らしい「おもちゃ」を持った生き物なのである。
しかしそのおもちゃはしばらくすると古く色褪せてくるのだ。具合も悪くなってくる。
人間の社会は同じ形態をしばらくとっていると、そこに悪い面やほころびが必ず出てくるのである。
今時代は大きく変わろうとしている。今回のコロナ禍では社会の悪い面が相当に浮き彫りになっていることに多くの人が気付いているだろう。
私は一つ確実に言えることがあるとしたら、次に来たるべき日本社会は、正直者が馬鹿を見る社会ではなくなるということだと思う。
もちろん人間社会のそういうネガティブな側面は残り続けるだろうが、それが価値観としてマイナーなものになっていくはずである。
つまるところ私はそういう社会の到来を願っている。